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津地方裁判所 平成元年(ワ)518号 判決

原告

久保ひろみ

久保雅子

右両名訴訟代理人弁護士

伊藤誠基

石坂俊雄

村田正人

福井正明

被告

伊勢市

右代表者市長

水谷光男

右訴訟代理人弁護士

小林芳郎

加藤一郎

佐脇浩

主文

被告は、原告らそれぞれに対し、金二二八一万一四八〇円及びこれに対する平成元年一一月二二日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は二分し、その一を原告らの、その余を被告の負担とする。

この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らそれぞれに対し、金四六八〇万五〇一八円及びこれに対する平成元年一月二五日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第一項について仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被災状況

訴外亡久保勇(昭和一一年二月一一日生、以下「亡勇」という。)は、昭和二九年五月一九日被告伊勢市の消防署に消防吏員として採用され、昭和六三年六月一日付けで同消防署の本書に配置替えとなり、消防救急等の現場業務を担当する警備第二係に配属されていたものであるが、平成元年一月二五日に被告伊勢市の消防本部(以下「被告消防本部」ともいう。)が実施した耐寒訓練である朝熊山(伊勢市宇治館町所在、標高555.3メートル)登山(以下「本件訓練」という。)に参加した。

亡勇は同日午後一時六分ころ集合場所(伊勢市宇治館町三重県営体育館裏五十鈴川岸河川敷)から出発して二二八八メートル進行した地点(登山口から約一三四〇メートルで、標高一九二メートルの地点)で、かつ予定された登山道のうち最も険しい道幅一メートル前後のV字状で両側に岩石が露出していた登山道上で、午後一時三九分ころ、歩行中に突然直立不動のまま倒れた。このため、同人の所属していた被告消防署本署第三分隊員達は、交替で人工呼吸、心臓マッサージを施す一方、無線機で救急車を要請し、急ごしらえの簡易担架で亡勇を下山させて、かけつけた救急車で市立伊勢総合病院(以下「伊勢病院」という。)に運んだが、亡勇は、同日午後三時四分ころ同病院において労作性狭心症による不整脈で死亡した。

2  公務と亡勇の死亡との因果関係

亡勇は、昭和五八年七月二七日、伊勢病院で労作性狭心症の診断を受け、一か月弱の入院期間を含めて約四か月間の休暇をとって療養し、同年一二月一〇日の職場復帰以後も定期的に伊勢病院に通院し投薬治療と食事療法を続けているという持病を有していたところ、右治療等の甲斐もあって、被災当時には、右持病は、治癒には至らないが症状が改善方向あるいは安定した状態になりつつあった。しかしながら、同人が参加した本件訓練は、厳寒期で、しかも夜勤(同人は、被災前日である平成元年一月二四日午前八時三〇分から同月二五日午前八時三〇分まで勤務した。)明けの非番日に、年齢三〇才代の若い隊員達と一緒に所要時間が決められた登山を強制されるという過重な公務であったのであり、同人がこれに参加することにより、持病の労作性狭心症を悪化させ、その結果心室性期外収縮による強度の不整脈によって死亡するに至ったことは明らかであるから、公務である本件訓練と同人の死亡との間には相当因果関係がある。

3  被告の債務不履行責任

① 被告は、労働基準法四二条、労働安全衛生法三二条等に基づき、亡勇に対し、生命、身体、健康を保護すべき義務、すなわち安全配慮義務を負っていたものである。

② ところが、被告は、前記2の療養休暇に際し亡勇から「労作性狭心症上記病名のため、約一か月の間安静加療を必要と認む。」などと記載された診断書と病気休暇願を数度受け取り、同じく職場復帰の際には、「不安定狭心症上記疾病にて治療、胸部痛等の症状が改善したので軽作業等の勤務は可能と思います。」と記載された診断書を受け取り、同人の健康状態について充分把握していたにもかかわらず、右職場復帰の際に、同人から「結果的には診断書のとおりでありますが、業務遂行について何ら支障もないと思われ万一の場合も私自身で責任を負いますのでよろしく御配慮下さい。」と記載された職場復帰願を提出させ、職場復帰後の同人の疾患に応じた健康管理を放棄し、被告消防本部が定めた「伊勢市消防衛生管理要綱」に従った適切な措置をとることを怠った。また、被告は、伊勢市消防本部及び消防署の全職員を対象とした厳寒期における特別の訓練である登山を実施するのであるから、事前に亡勇を含めた全職員について健康を入念にチェックすべきであり、具体的には、亡勇についてはその主治医に連絡をとるなどをしなければならないのに、それを怠った。

以上のとおり、被告は、亡勇の職場復帰後及び本件訓練前の健康管理に関し十分な配慮を怠り、その結果参加させるべきでない本件訓練に同人を参加させたのであるから、同人に対する安全配慮義務違反があり、亡勇の死亡により生じた損害を賠償する責任がある。

4  損害

① 葬儀費用 金一〇〇万円

② 逸失利益 金五四六一万〇〇三七円

亡勇は、死亡時五二歳であり、昭和六三年度の年収が七一〇万四四八四円であるから、本件被災事故で死亡しなければ、六七才に達するまでの一五年間右収入を得られたものであるから、新ホフマン方式により中間利息を控除し、生活費割合を三割として亡勇の逸失利益の現価を求めると次の計算式のとおり頭書の金額となる。

7104484×10.981×0.7=54610037

③ 慰謝料 三〇〇〇万円

亡勇は、被告伊勢市の消防署(以下「被告消防署」ともいう。)に三四年八ヵ月在職し、その間市長より市制記念日表彰(二〇年勤続)、全国消防長会より永年勤続功労賞(二〇年、二五年勤続)等数々の営誉を受けたものであり、自己の一生を消防業務に捧げていたのに志半ばで不慮の死を遂げた無念さには察するに余りあり、これを慰謝するためには金三〇〇〇万円を下らない額が必要である。

④ 弁護士費用 八〇〇万円

5  相続

原告久保ひろみ、同久保雅子は、それぞれ亡勇の妻、長女であり、亡勇の死亡により、同人の権利義務を法定相続分の二分の一ずつ承継した。

よって、原告らは、被告に対し、亡勇から相続した分(損害②、③)と自己の分(損害①、④)を合わせ、それぞれ四六八〇万五〇一八円及びこれに対する亡勇の被災日である平成元年一月二五日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅廷損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因の1の事実は認める。

2  同2のうち、亡勇が、昭和五八年七月二七日、伊勢病院で労作性狭心症の診断を受け、一か月弱の入院期間を含めて約四か月間の休暇をとって療養し、同年一二月一〇日に職場復帰したこと、同人が参加した本件訓練が、厳寒期で、しかも被災前日である平成元年一月二四日午前八時三〇分から同月二五日午前八時三〇分まで勤務した後の夜勤明け非番日に、年齢三〇才代の若い隊員達と一緒の登山であったことは認め、その余の事実は否認する。

3  同3のうち、②の療養休暇に際し、亡勇から、「労作性狭心症 上記病名のため、約一か月の間安静加療を必要と認む。」などと記載された診断書と病気休暇願を数度受け取ったこと、職場復帰の際に、「不安定狭心症 上記疾病にて治療、胸部痛等の症状が改善したので軽作業等の勤務は可能と思います。」と記載された診断書、「結果的には診断書のとおりでありますが、業務遂行について何ら支障もないと思われ万一の場合も私自身で責任を負いますのでよろしく御配慮下さい。」と記載された職場復帰願を受け取ったことは認め、その余は争う。

4  同4のうち、②の亡勇の昭和六三年度の年収が七一〇万四四八四円であること、③の数々の栄誉表彰を受けていることは認め、その余は争う。

5  同5の事実は認める。

三  被告の主張

1  相当因果関係の不存在

亡勇の被災前の勤務状況は、普段の消防署員としては平常の勤務状態であり、特に過重な身体的、精神的負担を課するものではなく、本件訓練の状況も、順位や時間を競うものではなく、体調の悪いものは申し出により参加の免除を受けられるものであり、訓練の内容も通常訓練の範囲内にすぎず、労作性狭心症による不整脈を発現させるほどの過重負担はない。また、後記のとおり、本件訓練から不整脈の発症を予言することは不可能であった。

したがって、平常業務や本件訓練という公務と亡勇の死亡との間には相当因果関係はない。

2  安全配慮義務違反の不存在

亡勇は、昭和五八年一二月の復職後、平常業務に従事していたが、外形上狭心症などの症状が見られず、自宅から勤務先の出張所ないし消防署までの間を自転車通勤し、同五九、六〇年の年一回と同六一年以降年二回の各健康診断を受けたが特別な疾病は認められず、その際の問診でも狭心症で通院中であるなどの話をしておらず、また、同六二年二月の冬季朝熊山登山訓練及び同六三年二月の夜間歩行訓練に参加して何ら健康上の問題を生じなかったのであり、さらに、本件訓練に当たっては、事前及び直前に、被告担当者から体調不調の者は申し出るように通知、注意がなされているのに、何らの申し出をしなかったのであるから、被告としては、本件訓練によって亡勇が不整脈によって死亡することを予見することは不可能であった。

加えて、被告は、亡勇の復職後、同人の持病に鑑み、本署に比して職務の楽な二見出張所等に配属して様子を見たり、右のとおり、定期的な健康診断を行ったり、本件訓練に当たっては、事前及び直前に、担当者から体調不調の者は申し出るように通知、注意しているのであって、公務災害の発生防止に十分配慮していた。

したがって、被告には、亡勇に対する安全配慮義務違反の事実はない。亡勇の死亡は、同人の自己の健康管理上の問題であって、被告に責任はない。

3  損害について

亡勇の被告職員としての定年は満六〇歳であるから、逸失利益の算定は、右定年までを前提に計算すべきである。

四  被告の抗弁(過失相殺)

亡勇は、主治医から言われていたバイパス手術を受けず、本件訓練について、主治医に相談せず、被告消防署にも病状の申出をせずに自ら進んで参加している。同人は、医師の診察と治療を受けていたものであり、自分の病状について十分知りうる立場にあり、しかも疾病者本人として持病の悪化、不整脈の発現予防を心掛ける第一次的立場にある。

したがって、仮に被告に安全配慮義務違反があるとしても、亡勇にも過失があり、相当程度の過失相殺がなされるべきである。

五  被告の抗弁に対する認否

抗弁事実は争う。

亡勇は、狭心症に罹患後、食事、趣味、仕事等のいろいろな面で気をつけるようになっており、消防、救急の現場業務は好んでしていたのではなく、それ以外の仕事をさせてもらえなかったのであり、本件訓練も参加したくないのに、被告消防本部の訓練体制から参加せざるをえなかったのであり、結局亡勇に責められる事情はなく、過失相殺はなされるべきではない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1の事実及び同2のうち、亡勇が、昭和五八年七月二七日、伊勢病院で労作性狭心症の診断を受け、一か月弱の入院期間を含めて約四か月間の休暇をとって療養し、同年一二月一〇日に職場復帰したこと、同人が参加した本件訓練が、厳寒期で、しかも被災前日である平成元年一月二四日午前八時三〇分から同月二五日午前八時三〇分まで勤務した後の夜勤明け非番日に、年齢三〇才代の若い隊員達と一緒の登山であったことは当事者間に争いがない。

二公務と亡勇の死亡との因果関係について

1 前記一の事実並びに〈書証番号略〉、証人宅間豊、同宗林章、同新田郁夫の各証言、原告久保ひろみ本人尋問の結果及び検証の結果を総合すると、以下の事実が認められ、右認定に反する証人宗林章の証言中の当該部分は信用できず、ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。

①  亡勇の持病

亡勇は、昭和五八年七月二七日、伊勢病院で、冠状動脈の狭窄がある場合に、運動負荷等によって心筋虚血(酸素不足)を原因とした胸痛発作等を起こす労作性狭心症の診断を受け、同年九月二日から同月二八日まで同病院に入院し、その前後の自宅療養期間を含め、被告消防署から、約四か月間の休暇をとって療養した。この間、同病院で、精密検査を受けたところ、左冠状動脈のうち前室間溝を下行する前下行枝上部あたりに、コレステロールによる九〇パーセントの血管狭窄があることが判明した。このため、同年一二月一〇日の職場復帰以後も、同年中は二回、同五九年は三〇回、同六〇年は二三回、同六一、六二年は各一四回、同六三年は一六回、平成元年は被災日までに一回それぞれ通院治療を重ね、この間継続的に、インデラル、アダラート、ヘルベッサー、ニトログリセリン等血管拡張、コレステロール低下等の薬効を持つ多種多量の投薬を受けていた。そして、同人の病状は、職場復帰以後も、勤務中や寒い季節に胸部圧迫感等が起きることがあったが、漸次軽快に向い、昭和六三年七月に受けた二四時間検査するホルダー心電図の検査では、階段の昇降の際に労作性狭心症による不整脈の症状がでる等完治はしなかったものの、被災日ころには、昭和五八、九年ころに比べかなり症状が改善し、そのころ必要性が検討されたバイパス手術もすぐに必要というわけではなくなり、投薬の種類、量も減り、投薬されていたニトログリセリン等の薬も使用しないで余るようになっていた。

②  亡勇の生活状態

狭心症を悪化させる危険因子は、肥満、コレステロール、たばこ、糖尿、痛風、高血圧、遺伝の七つであり、労作性のものには、さらに過重な運動がこれに加わるが、亡勇には肥満、糖尿、痛風、高血圧、遺伝の因子はなく、同人は、たばこは元来吸わず、コレステロール対策として労作性狭心症の診断を受けた後は、妻の協力を得て食事療法を続けており、また過重な運動を避けるために、趣味のテニスやボーリングを止め、散歩の距離も短くしていた。問題となるのは、前記職場復帰後の通常勤務と職場への自転車通勤という仕事関係であった。

③  亡勇の勤務状態

亡勇は、前記職場復帰により療養休暇前の被告消防署西出張所第一係に戻り、昭和五九年四月一日から二見出張所第一係、同六〇年四月一日から度会出張所第二係、同六二年三月三一日から西出張所第二係、同六三年六月一日から本署警備第二係にそれぞれ勤務し、いずれも消防及び救急の現場業務に従事していた。被災前日は、平成元年一月二四日午前八時三〇分から同月二五日午前八時三〇分まで勤務し、この間、二四日午前八時三九分から同九時一八分、午後一時五七分から同二時一〇分、午後九時一一分から同九時五一分の三回にわたって救急出動に出た外、午後七時から同八時まで望楼勤務に就き、二五日午前一時ころから同七時過ぎころまで仮眠し、同八時三〇分に退署して帰宅し、同日午後一二時過ぎに自宅を出て本件訓練の集合場所に向かった。

④  被災状況

亡勇は、平成元年一月二五日午後一時ころ、本件訓練の集合場所に到着し、被告消防署本署第三分隊の一員として、年齢三〇歳代の他の五名と共に、同一時六分ころ、集合場所から出発し、約一〇分ほど舗装された県道を歩いて登山口に達し(集合場所から九四八メートル)、そこから緩やかな上り勾配の山道を放置自転車や獣の水飲場の説明をしながら登っていった。そして、登山口から約一二〇〇メートル進んだ辺りから急に道が険しくなり、雑談していた他の隊員達の口数も少なくなり、隊長である訴外新田郁夫(以下「新田」という。)が隊員全員に疲労感が出てきたのでもう少し登ったところで休憩しようと考えていた矢先の午後一時三九分ころ、登山口から約一三四〇メートルの地点(標高一九二メートル)で、かつ予定された登山道のうち最も険しい道幅一メートル前後のV字状で両側に岩石が露出する場所にさしかかったところ、亡勇は、歩行中に突然直立不動のまま左側方か左斜前方に倒れた。この時、同人は、声を上げるでもなく、手をつこうともせず、倒れてから、低い唸り声を出しただけで、顔面蒼白となり、脈拍と呼吸が停止した状態となったため、他の隊員達は、交替で人工呼吸、心臓マッサージを施す一方、無線機で救急車を要請し、急ごしらえの簡易担架で亡勇を下山させて、かけつけた救急車で伊勢病院に運んだが、同人は、同日午後三時四分ころ同病院において疲労性狭心症による不整脈で死亡した。

⑤  本件訓練の性格及び態様

本件訓練は、被告消防本部(以下「当局者」ともいう。)が実施した耐寒訓練であり、職員の職務遂行に必要な気力、体力の錬成を図ると共に地理の把握を目的とした公務であって前年、前々年の訓練に続くものであった。そして当局者は職員に対しては事前に体調の悪いものは申し出るように通知、注意をしていたものの、不参加者に対しては後日代替訓練をさせられるので、多少の体調不良者でも参加を拒み難い性格のもので、ことに現場勤務である消防署の一般職員にはそうであり、実際、本件訓練の対象者である一四七名のうち一〇名が不参加であったが、消防署の一般職員には不参加者が皆無に近く、亡勇所属の第三分隊中にも、下痢の訴外福本潔が参加していた。

2  右1において認定した事実と証人宅間豊の証言によると、亡勇が、昭和五八年七月ころに罹患した労作性狭心症は、消防職員として通常の勤務に就ける程度にまで改善されており、自然的増悪はなかったこと、しかし加重な運動負荷が加わると不整脈の症状がでていたこと、公務である本件訓練が厳寒期になされた登山で、通常の勤務とは内容及び条件が異なるし、同人にとっては季節的、年齢的、勤務条件的(夜勤明けの非番日)に厳しいものであったこと、亡勇は登山道のうち最も険しい場所で心臓疾患者特有の倒れ方をしていることが認められる。

右によれば、亡勇が罹患していた労作性狭心症は、公務である本件登山訓練によって悪化させられ、その結果不整脈を生じて死亡したものと認めるのが相当であり、公務と亡勇の死亡との間に相当因果関係があるものと認めることができる。

この点に関する被告の主張は右の認定に照らして採用しがたい。

三安全配慮義務違反について

亡勇が本件被災当時被告市の消防職員であったことは当事者間に争いがないので、被告は亡勇に対し、同人が当局者の命令、指示に基づき遂行する公務の管理にあたって、同人の生命、身体を危険から保護する義務、いわゆる安全配慮義務を負っていたことは明らかである。そしてこの被告の安全配慮義務の具体的内容は、亡勇の職種、地位、現に遂行する具体的な職務の内容、その具体的な状況等によって定まるものであるから、以下この点について検討する。

1  請求原因3のうち、当局者が亡勇の療養休暇に際し、「労作性狭心症上記病名のため、約一か月の間安静加療を必要と認む。」などと記載された診断書と病気休暇願を数度受け取ったこと、また、当局者は同人の職場復帰の際に、「不安定狭心症 上記疾病にて治療、胸部痛等の症状が改善したので軽作業等の勤務は可能と思います。」と記載された診断書、「結果的には診断書のとおりでありますが、業務遂行について何ら支障もないと思われ万一の場合も私自身で責任を負いますのでよろしく御配慮下さい。」と記載された職場復帰願を受け取ったことは当事者間に争いがない。

2  右1の事実に〈書証番号略〉、及び証人宅間豊、同宗林章、同新田郁夫の各証言、原告久保ひろみ本人尋問の結果を総合すると、以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

①  亡勇の提出書類等

被告消防本部は、亡勇の療養休暇に際し、「労作性狭心症 上記病名のため、当分の間夜間勤務を禁止して軽作業をするようにしてください。」「労作性狭心症 上記病名のため、約一か月の間安静加療を必要と認む(検査のため入院中)」などと記載された診断書と「労作性狭心症のため休暇を取りたい」旨記載された病気休暇願を数度受け取り、同人の職場復帰の際には、「不安定狭心症 上記疾病にて治療、胸部痛等の症状が改善したので軽作業等の勤務は可能と思います。」と記載された診断書と「結果的には診断書のとおりでありますが、業務遂行について何ら支障もないと思われ万一の場合も私自身で責任を負いますのでよろしく御配慮下さい。」と記載された職場復帰願を受け取った。これら病気休暇願(診断書は添付書類)及び職場復帰願の書類には、被告消防本部消防長、次長以下課長、係長等と消防署の署長補佐、出張署長等の閲覧印が押されている。なお、その後、被災日まで、被告消防本部は、亡勇から、労作性狭心症が完治した旨の診断書は受け取っていない。

②  亡勇の病状について周囲の把握

亡勇の上司等は、亡勇の職場復帰の際、同人から、体のことを考えて事務の仕事である消防本部指令室の仕事を希望している旨聞いていたが、被告消防本部の方針及び体制から実現されなかった。昭和六二年の耐寒訓練の際には、小俣分署長が亡勇の勤務する西出張所に出向き、同人に対し、参加を見合わせるように指示したり、直属の上司が「大丈夫か、やめておいたほうがいいのではないか」と忠告したりしている。被災日時点の亡勇の上司である新田は、日常の火災出動の際、亡勇が薬(ニトログリセリン舌下錠)を飲んでいるのを一度目撃しており、同人から、「心臓が悪くてニトロを飲んでいる。」「火災の時とか、激しい運動の時とかには、必ず口に含んでいる。」「伊勢病院に通っている。薬を貰いに行っている。」「体力測定はいやだ。」などと聞いており、新田は、消防本部の古い職員のほとんどや同じ分隊の一部の者は、亡勇の病気の状態を知っていると認識していた。また、新田は、本件訓練が発表されてから、及び被災日の朝に、亡勇から「登山はきらいや。」と聞き、以前から同人の心臓が悪いと聞いていたので、心臓の関係で嫌がっていると思い、同人が登山で倒れた時は、心臓発作であると直感的に思った。

③  亡勇の性格、仕事への姿勢

亡勇は真面目で几帳面な性格であり、毎日午前七時に起床し、同七時三〇分に朝食を取り、同八時五分ころ自宅を出発する等日常生活は規則正しく、アルコール、タバコ類は一切嗜まず、勤務態度も非常に良好で、有給休暇や特別休暇の消化率は低く、本件訓練について、身体のことを心配して、本件訓練の一週間前には、わざわざ三重県度会郡玉城町の低い山へ同僚と練習に出かけて登山に備えていた。

④  被告消防本部の職員に対する健康管理体制

被告消防本部は、職員の健康保持を一つの目的として、「伊勢市消防衛生管理要綱(昭和六〇年六月一日施行)」(以下「要綱」という。)を定めていた。そして、右要綱によると、消防本部次長が就任する総括衛生管理者(七条一、二項)、労働安全衛生法に定める有資格者から消防長によって専任される衛生管理者(八条一、二項)、衛生管理者の事務を補助させるために所属長が必要に応じて選任できる衛生管理員(九条)がそれぞれ置かれ、総括衛生管理者、衛生管理者等による衛生管理者会議が年一度以上、消防本部と消防署に衛生管理者等による衛生委員会が月一回以上、それぞれ開催されることになっており(一一条、一二条、一六条、一七条)、右会議は、健康に異常のある者の健康管理に関する事項を、右委員会は、健康障害の原因及び再発防止や休職者及び長期欠勤者その他健康に異常のある者に関する事項を、それぞれ調査審議することとなっていた(一〇条二項、一五条二項)。また、要綱では、毎年一回以上定期に、職員に対し年令及び職務に応じた項目について健康診断を、必要ある時は関係職員に対して特別健康診断を、右各健康診断の結果異常ある職員には精密検査(健康管理カードによると、高血圧及び心臓検査として、眼底検査と心電図が予定されている。)をそれぞれれ受けさせ、精密検査により異常が認められた職員を、A要療養者(勤務を休む必要がある程度の病状である者)、B要観察者(勤務に制限を加える必要がある程度の病状である者)、C要注意者(勤務をほぼ平常どおり行ってよい程度の病状である者)、D健康扱い者(勤務を平常どおり行ってよい者)にランク付けし、要療養者には就業禁止や入院治療、要観察者には勤務時間の短縮や配置換え、要注意者には過重な勤務及び時間外勤務の抑制等の措置をとることとされていた(二四条から二六条まで、二八条、二九条)。

⑤  被告消防本部の亡勇に対する健康管理の実情

被告消防本部では、前記④の衛生関係者会議及び衛生委員会を要綱どおり定期に開いており、衛生管理者には、各課係長、各出張所長計約一二名が就任しており、昭和六〇年六月一日以降(それ以前は、昭和五九年伊勢市規則第一〇号「伊勢市職員安全衛生管理規則」が定められていたようであるが、詳細は明らかでない。)亡勇が勤務していた度会出張所(職員一〇数名)、西出張所(職員一〇数名)の各所長及び本署警備第二係(職員二〇名強)の係長が衛生委員会に出席していたが、衛生関係者会議及び衛生委員会で亡勇の病状が話題になった形跡はない。また、被告消防本部では、亡勇に、昭和五九、六〇年の年一回(職場復帰後、最初の定期健康診断は、職場復帰から一年近く経た同五九年一〇月三〇日である。)と同六一年以降年二回の各定期健康診断(胸部レントゲン撮影、血圧測定、検尿、問診)を受けさせているが、ほぼすべて「特疾なし」の総合判定が出たため、同人に対し、特別健康診断、精密検査を一度も受けさせておらず、その結果A以下の健康異常者のランク付けをせず、他の職員と同様健康者として扱っていた。

また、定期健康診断の問診の際には、同人は狭心症で通院中であるなどの話をしていなかったようであるが、健康診断担当医に前記①の書類が見せられたり、情報が伝えられた形跡もない。

⑥  被告消防本部の本件訓練に関する健康管理の実情

被告消防本部は、本件訓練に関し、本件訓練の担当者等を通じて、事前及び直前に、体調不調の者は申し出るように通知、注意をしていたが、個々の職員の年令、勤務状況、健康状態等を検討しておらず(非番、公休者及び指定休者も含む全職員が対象であった。)、訓練参加者の中にA以下の健康異常者のランク付けがなされた者がいるかのチェックもなく、訓練担当者に上司から指示もなかった。こうした実情下、本件訓練に関し、亡勇に対し特別の考慮は全くなされなかった。

3 右認定事実によると、被告消防本部としては、亡勇が長期の休暇を取るころから同人が心臓に疾患を有する者であったこと、職場復帰の際にはそれが完治しておらず、軽作業程度の勤務が可能であったことを認識していたものであり、更に同人の直接の上司である新田は、その後も亡勇の右疾患は完治しておらず、本件訓練も通院治療中であったことを認識していたのであるから、被告消防本部も組織体として右の事実を認識していたものと認めるのが相当である。

そして、先に認定したとおり、本件訓練は厳寒期における登山であって、亡勇の担当職務(消防、救急業務)以外のものであり、しかも肉体的負担の大きいものであったから、心臓疾患を有する亡勇を本件訓練に参加させる必要性は認めがたいし、また、参加させた場合には不測の事態が発生する可能性もあったのであるから、被告消防本部は、同人に対し、本件訓練への参加を免除し、公務遂行の過程において、同人の生命、身体が危険にさらされないように配慮すべき義務があったのに、これを怠り同人を右訓練に参加させ、労作性狭心症による不整脈により同人を死亡させたものであるから、被告は同人の死亡による損害を賠償する義務がある。

4 被告は、本件訓練によって亡勇が不整脈によって死亡することを予見することは不可能であったと主張し、その理由として、同人は、職場復帰後、外形上正常で、自宅から勤務先まで自転車通勤し、定期健康診断でも特別な疾病がなく、その際の問診でも狭心症で通院中であるなどの話をしておらず、昭和六二、三年の耐寒訓練でも何ら健康上の問題を生じなかったのであり、さらに、本件訓練に当たっては、事前及び直前に、被告消防本部から体調不調の者は申し出るように通知、注意がなされているのに、何らの申し出をしなかったことなどを指摘している。

確かに、本件訓練の時点に限って考えれば、それまでの亡勇の外形や行動等から被告消防本部の予見可能性としては、被告の主張のようにいえなくもない。しかしながら、前記3で認定説示したように、被告消防本部は、亡勇の職場復帰の際には、同人の労作性狭心症が完治していないことを認識していたのであるから、本件訓練による同人の不整脈による死まではともかくとして、同人に負荷の高い運動をさせれば、心臓発作等により不測の事態が発生する可能性を予見することは可能であったと認められる。しかも、前記認定事実によれば、職場復帰後も個々の職員には亡勇がニトログリセリン舌下錠を服用するなど同人の病歴を認識していた者が少なからずいたことが認められることも考慮すると、被告消防本部には、亡勇の職場復帰後、労務管理の一環として継続的に同人の健康状態を把握する義務があったにもかかわらず、その義務を尽くさなかった故に、本件訓練の時点では、被告の主張のような予見可能性になってしまったのである。すなわち、もし被告において、亡勇に対して継続的な健康把握義務を尽くしておれば、本件訓練の時点で亡勇が労作性狭心症による不整脈で死亡する事態を予見することも決して不可能ではなかったのである。そうすると、被告の主張は、予見可能性の時点を限定しすぎているのみならず、自己に要求される義務を果たさなかった結果として、予見可能性がなかったと主張しているに等しく、論理が逆であり、その主張は採用できない。

次に、被告は、亡勇の復職後、本件訓練に当たっては、事前及び直前に、担当者から体調不調の者は申し出るように通知、注意しているのであって、公務災害の発生防止に十分配慮していたと主張する。しかしながら、前記3のように、被告は、亡勇の継続的な健康把握を怠っていたものであり、その結果亡勇に対して本件訓練への参加を免除しなかったものであって、被告主張程度のことでは十分であるとは到底いえず、この点でも被告の主張は採用できない。

さらに、被告は、亡勇の死亡は、同人の自己の健康管理上の問題とも主張しているが、以上の認定説示に照して、それが採用できないこと明らかである。

5  被告の抗弁(過失相殺)について

以上の認定事実によると、亡勇は、定期健康診断の問診の際に、狭心症で通院中であるなどの話をしていなかったこと、本件訓練について、主治医に相談せず、被告消防署にも不参加の申出をしていなかったことが認められ、本件被災の発生、拡大に亡勇の不陳述、非相談が関与していたことは疑いないが、一方で、心臓疾患であることを認識しながら長期間にわたって継続的な健康把握義務を怠っていた被告の過失も重大であること、職場復帰当初、亡勇が事務系統への異動を希望していたのに果たされなかったこと(関係各証拠によると、被告消防署の体制が許さなかった事情は認められるが、その合理性については認めるに足りる証拠はない。)、同人は私生活では療養に十分努めており、病状悪化の危険因子となるのは仕事関係だけであったこと、同人が仕事熱心で、真面目な性格であり、定期健康診断の問診の際や本件訓練について、病状の説明や不参加の申出をしなかったのはそれなりにうなづけること、本件訓練は、特に現場勤務である消防署の一般職員には、参加に義務感を感じさせるものであったことなども認められる。

しかしながら、亡勇の本件訓練中の死亡は、同人の心臓疾患という素因に基づくものであることが明らかであるから、損害の公平な分担を図るという過失相殺の趣旨に照らして、同人が本件訓練に不参加の上申をしなかった点は同人の過失として、損害額の算定にあたり三割を斟酌すべきである。

四損害について

1  弁論の全趣旨によると、原告らが、亡勇の死亡につき、葬儀費用を支出したことが認められる。

しかしながら、本件は被告の亡勇に対する安全配慮義務違反(債務不履行)責任を追及している事件であるところ、右葬儀費用は原告ら自らが出捐したものであって、亡勇の被告に対する債権ではないから、この点に関する原告らの請求は理由がない。

2  逸失利益

亡勇の昭和六三年度の年収が七一〇万四四八四円であることは当事者に争いがなく、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によると、亡勇は死亡時満五二歳、被告の定年が満六〇歳と認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

また同人は定年後六七才までは稼働できたものと認められるところ、同人の右の期間の収入は同人の右年収の五割と認めるのが相当である。

しかし、同人の生活費を収入の四割として、同人の逸失利益を算定すると、次の計算式のとおり合計金三七四六万一三七四円(一円未満切捨)となるところ、これに前記過失相殺をして金二六二二万二九六一円に減額する。

計算式

7104484×0.6×6.5886=28085161

7104484×0.5×0.6×4.3992=9376213

但し、6.5886は八年のホフマン係数であり、4.3992は一五年のホフマン係数から八年のそれを差し引いた数値である。

3  慰謝料

亡勇は、被告消防署に三四年八ヵ月在職し、その間市長より市制記念日表彰(二〇年勤続)、全国消防会長より永年勤続功労賞(二〇年、二五年勤続)等数々の栄誉を受けたことは当事者間に争いがなく、その他、前記二、三で認定した亡勇の被災状況、被告(消防本部)の過失の態様、程度等を勘案すれば、本件訓練により死亡した亡勇が受けた精神的苦痛を慰謝するためには金一五四〇万円が相当である。

4  そして請求の原因五の事実は当事者間に争いがないから、原告らは亡勇の右の合計金四一六二万二九六一円の損害賠償請求権を法定相続分に応じてそれぞれ金二〇八一万一四八〇円宛を相続したものと認められる。

五弁護士費用

弁論の全趣旨によると、原告らが、本件訴訟の提起、追行を原告訴訟代理人等に委任し、相当額の報酬を約していることが認められるところ、本件事案の性質、経緯、その他の認定損害額等に鑑みると、被告に対して賠償を求めうる相当因果関係内の弁護士費用は、各原告がそれぞれ金二〇〇万円とするのが相当である。

六結論

そして原告らの本件請求権は債務不履行にもとづく損害賠償請求権であって、この債務は履行の請求を受けた時点で、債務者が遅滞の責に任ずるものである。

よって、原告らの本訴請求はそれぞれ金二二八一万一四八〇円宛とこれに対する訴状送達の翌日であること訴訟上明らかな平成元年一一月二二日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから、正当として認容し、その余は失当として棄却すべきである。

よって、民事訴訟法八九条、九二条、九三条、同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官高橋爽一郎 裁判官橋本勝利 裁判官浅見宣義)

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